Red Beat Diary

Yahooブログから引っ越してきました。よろしくお願いします。

とある店主の世界旅行 【その1】 「イースター島」

 
 
こんばんは。ぺこ <(_ _)>
BAR 「ドランク・ジャグラー」 店主(マスター)の竜(たつ)でございます。
本日お店はお休みなのですが、
一人で夜を過ごしているとなんだかしゃべり足りなくて。。。( ̄▼ ̄;アハハハ.....
 
でも、毎回毎回 お酒の薀蓄(うんちく)ばかりだと飽きちゃいますよね。。。 
 
 
実はわたくしには、日頃忙しすぎて なかなか実行にうつせない「夢」があります。
(簡単に実現できたら 夢じゃなくなるんですけどね。。。^^;)
その夢を実現させるために、忙しいなりにも「少しでもやれることはやっておこう。」
そう考えて今回、新しい書庫を立ち上げさせて頂きます。
その名もズバリ!
 
 
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そうなんです。わたくしの夢は
「世界中を旅してみたい!」 
なのです。         
 
 
今までに行った場所(数は少ないですが)や、行ってみたい場所、
これらを紹介させて頂こうと思います。
もしかしたら、あなたも「行ってみたい!」と思っていたり、
「そこ行ったよ!○○が良かったよ!」な~んて所が登場するかもしれませんよ。^^
 
 
では記念すべき第1回は、わたくしが昔から1度は訪れてみたいと思っている場所イースター島
なにが有名な所かは皆さんお分かりですよね。
 
イースター島(チリ領)》
 
【位置】
南緯 27度7分、西経109度22分
チリの首都であるサンティアゴから西へ3,700km、タヒチから東へ4,000kmの太平洋上に位置。
 
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【案内】
 イースター島(Easter Island):チリ領 太平洋上に位置する火山島
 面積:163.6k㎡ (横浜市の40%)
 人口:約400人(2005年)
 通貨:ペソ (1ペソ≒7円)
 
島内には、チリ海軍が駐留し、数ヶ月に1度 物資とともに海兵隊もやって来ます。
鉄道は無く、道路も殆ど舗装されていません。乗り合いのバスもしくはタクシーが、主な公共交通手段として島民や観光客に利用されています。
レストラン、ホテル、ディスコ、ガソリンスタンド、ビデオレンタルショップ、学校、病院、博物館、郵便局、放送局(テレビ局3局、ラジオ局1局)等の施設が整っていて、島の暮らしはいたって現代的とゆうところ。
 
【歴史】
 遥か昔に漢民族の南下に伴ってインドシナ半島から押し出されたポリネシア人が辿り着いたのが最初で、
4~5世紀頃だとされている。
7~8世紀頃に石の祭壇作りが行われ、モアイは遅くとも10世紀頃に作られだしたそうです。
最初は1人の酋長のもと、1つの部族として結束していたが、代を重ねる毎に有力者が「分家」し、部族の数は増えていきました。そして島の到る所に、部族の集落ができ祭壇とモアイが作られました。
 
 1722年の復活祭(イースター)の夜、オランダ海軍提督のヤコブ・ロッゲフェーンが、南太平洋上に浮かぶ小さな島を発見。この日がイースターであった為、「イースター島」と名前が付いたと言われています。 
1774年には、イギリス人探検家のジェームス・クックも上陸しているそうで、彼が目にしたものは倒れ、壊されたモアイ像の数々だが、島のモアイの半数ほどが、まだ直立していたと伝わっています。
 
 18~19世紀にかけて、ペルー政府の依頼を受けた、アイルランド人のジョセフ・バーンや、タヒチのフランス人の手によって、住民らが奴隷として連れ出されたり、外部から持ち込まれた天然痘が、猛威を振るったりした結果、島の人口は激減し、先住民は絶滅寸前まで追い込まれました。1872年当時の島民数は僅か111人だったそうです。
 
 1888年にチリ領になり現在に至る。 
 
 
【モアイ】
 
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 比較的に加工しやすい凝灰岩を、玄武岩や黒曜石で作った石斧で造られた石造。
大きさは3.5m、重量20トン程度のものが多いが最大級のものは20m、重量は90トンに達します。
 
 
 
 モアイは「海を背に立っている」と言われています。正確には「集落を守るように立っている」のです。
 ただモアイの本当の目的・用途については今だ謎のままなのです。
なぜなら絶滅寸前まで追い詰められた島の人達には、過去の記憶や文化を伝える者や、残された古文字を読めるものもいなくなったから。
 
 
 
 
 島が完全に孤立していて外敵の脅威が全くなく、繁栄していたイースター島でのモアイ作りは突然終息を迎えます。モアイを作り運び、モアイを建てる為には大量の木材が必要で、大量伐採によってが失われました。森を失った島からは、肥えた土が海に流れ出し、土地が痩せ衰え、そこに人口爆発が起こります(当時の島には、1万人を超える人々が、暮らしていたと言われている)。僅か数十年の間に、人口が4倍にも5倍にも膨れ上がり、やがて深刻な食糧不足に陥るようになり、頻繁に耕作地域や漁場を争っては、部族間に武力闘争が生じるようになりました。モアイは、目に霊力(マナ)が宿ると考えられていた為、相手の部族を攻撃する場合、守り神であるモアイをうつ伏せに倒し、目の部分を粉々に破壊しました。その後、この「モアイ倒し戦争」は50年ほど続いき、ヨーロッパ人が到達したときは島民の生活は石器時代と殆ど変わらないものになっていたそうです。
 
 
【アクセス】
成田よりタヒチパペーテ、もしくはチリ・サンチアゴ経由のみ。
JTB調べで、今年のツアーは12月~3月が設定されている。
8日間 405,000円 (タヒチ経由で16時間のフライト 但しイースター島滞在は2日間)
 
 
「閉鎖された空間に存在した文明が、無計画な開発と環境破壊を続けた結果、
資源を消費し尽くして最後にはほぼ消滅した。」
という歴史はそのまま、
現代文明の未来への警告と言ってもよいのではないでしょうか。。。
 
わたくしは、この「モアイ」と「イースター島」の魅力にとり憑かれてやまないのです。
 
 
 
(; ̄ー ̄)…ン? 誰ですか?
 「マスター、モアイに似てるから行ってみたいんじゃないのぉ~」 
なんて言ってる方は。。。(⌒▽⌒) 
 
 
 
では今回はここまで。^^
しょっぱなから とっつきにくい場所で申し訳ありませんでした。ぺこ <(_ _)>
 
 
さて次回はどちらへ誘(いざな)いましょうか?^^
今後も「ドランク・ジャグラー」の裏バージョンとして、
色々と訪れてみたい世界の名所を紹介してまいりますので、
以後お見知りおきを!<(_ _)>
 
 
by ドランク・ジャグラー店主 竜(たつ)